低学歴の世界と高学歴の世界

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やっぱり、どう考えても低学歴の世界と高学歴の世界には互いが理解できない程に文化や知的水準に違い、隔たりがある。 

既に世間やネットでは散々語られてきた話題だが、最近少し思う所があったのでたまには「本音ステーション」らしく、建前や綺麗事を取り払って俺の思いを綴ってみる。

「低学歴」と括られて気を悪くする人も大勢居ると思うが、そこは勘弁して欲しい。

あと、低学歴にも社会的成功者や人格者が居るし、高学歴でも落伍者や犯罪者が居ることは理解している。 

だから、この記事は「こう言う傾向あるよね」と言う話として読んで欲しい。


人間を二種類に分けるなら

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 中学生の頃、塾の授業小休止雑談タイムで先生にこう問われた。 

「私達を二種類に分けるなら、どのような分け方になると思いますか?」  

生徒達が「大人と子供」とか「男と女」 とか口々に回答した後、先生は「頑張れる奴と頑張れない奴」だと力説した。そこから努力の重要性を語り、高校受験の話にシフトしていった。 

おふざけの許されない威圧感のある先生だったので黙って聞いていたが、思春期真っ盛りの俺は無性に言いたかった。

「才能と運が全てじゃないんですか」

できる奴はできるし、できない奴はできない。頑張る事は必要かも知れないが、いくら頑張ってもダメな奴はダメ。それが才能。

どんな親の下に産まれ、どんな能力を継承し、どんな教育を受けるか。

馬鹿な親の下に産まれたら馬鹿な親の馬鹿な教育を受け馬鹿の背中を見て育つから、そいつも馬鹿になる。後は、事故や病気で死なないか。それが運。

才能も運の内、運も才能の内と纏める事ができるかもしれない。

俺は、そう考えてしまうような環境で18歳まで育った。


低学歴と高学歴が交わる街

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 俺の育った街は、地方都市の郊外に位置する結構な田舎だが、一面農村地帯と言う訳でもない。 
  
ド田舎の中ではマシな方、と言った感じだろうか。

その微妙さは住民層にも表れ、才能と運を持った人間とそうでない人間が街を二分していた。

具体的な話をすれば、比較的近年開発されたエリアに住む層と海側の工業地帯や公営団地に住む層で民度に大きな差があった。

正確なデータを持っていた訳では無いが、開発エリアと海側エリアで学歴や年収に決定的な差があり、それが民度に色濃く反映されているのが子供の目にも明らかだった。

そして、俺の街の公立小学校・中学校はちょうど2つのエリアの中間地点に位置していた。つまり、才能と運を持った人間とそうでない人間が一箇所に集う事を意味する。

もうめんどくさいので言葉を選ばないが「高学歴チルドレン」と「低学歴チルドレン」が5:5、いや6:4くらいの比率で同じ教室に机を並べていた。 

そんな環境だと当然、朱に交わればなんとやら。残念ながら低学歴チルドレンの方が影響力が強く、周りも似た色に染めていく。 

公立小学校

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 小学校低学年の段階で学級崩壊したクラスがいくつかあった。スクールカーストはほぼ運動能力(喧嘩の強さ)や残虐性の強さ順で形成される。

女子の場合は、男子のカースト上位と仲良くできるコミュ力。そうなると当然、容姿も男子イケメン以上に大きなプラス要素になる。

男女共にスクールカーストにおいて学業成績や勤勉さは大したプラス要素にならない。むしろマイナス要素になる事が多かった。


高学年になると一部で軽犯罪が横行。窃盗や自転車盗はファッションのように流行し、イジメの手法もより残虐なものになって行く。

この段階で勉強を完全に見失う奴が続出。「0点」が珍しくなくなる。 

こんな調子だから、中学生ともなればもう歯止めが効かない。


DQN教が支配する公立中学校

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  なんと言ってもここからは、3年生の低学歴チルドレンのリーダーが教祖の「DQN教」が出現する。低学歴チルドレンの多くは入学直後、教祖や先輩信者の洗礼を受けDQN教に入信する。 

女子の低学歴チルドレンはギャル化が進み、DQN教に処女を捧げていく。 

一部先輩信者に噛み付く低学歴チルドレンも居るが、その手の連中は暴力で服従させられた後、やはり洗脳される。

入信した低学歴チルドレンは、教祖や先輩信者達を盲目的に崇拝し、その行動を真似る。言うまでもなく異教徒は迫害対象。

ファッションに飲酒、喫煙、セックスが加わり、窃盗は組織化され更にエスカレート。盗品が教室にズラリと並び、金目の物はネットオークションて売り捌くようになる。

自転車盗はバイク盗に、喧嘩も学区を飛び越えて対外戦に。鑑別所送りになる奴も居た。

DQN教の支配下で生きる高学歴チルドレン

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 この地獄で高学歴チルドレンはどうなってしまうのか? 

イジメのターゲットにされ不登校を余儀なくされるのか?DQN教に入信し低学歴ルートへ進むのか? 

実は、そうなる奴はごく少数。高学歴チルドレンの多くは擬態する。 

キリシタン狩りを逃れようと絵を踏んだキリシタンのように、内心DQN教を見下しつつも弾圧を恐れ、DQN教に逆らうことはせず、むしろ俺達そちら側と言うスタンスでDQN教の文化を軽く真似しながら生き、カーストも上位につける。 

当然、あの頃の警察機能である教師や両親が目を光らせてる範囲ではそれなりにいい子で居る。 

そして「勉強カッコわりぃ」「けどまぁ親うるせーし大学までは行っとくかな」と言ったスタンスでDQN教をやり過ごし、低学歴コースは回避する。 

どの程度DQN教を真似するか、ギリギリのラインでの攻防だ。 

擬態できない奴、しない奴の殆どはいじめのターゲットにされるが、それでも不登校や低学歴コースになる奴は稀。 

一部、擬態ではなく本当にDQN教に入信して低学歴コースに進む奴も居る。 

その結果、クラス40人の最終学歴は概ねこんな感じになる。 

中卒(高校中退含)・・・3人 
高卒・・・・・・・・・・・・・・・15人 
専門卒・・・・・・・・・・・・・4人 
地元Fラン大卒・・・・・・・・・・・2人 
大卒・・・・・・・・・・・・・・・・16人 

塾の進学クラスが街の聖域

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 学校が教育機関としての機能を果たさないこんな状況下では、高学歴コースに進みたいなら塾で勉強するしかない。 

高学歴チルドレンの殆どは塾に通っていた。 

が、ここにも低学歴チルドレンは侵食してくる。DQN教の熱心な信者は流石に居ないが、「とりあえず塾行かせとくか」と低学歴親たちが低学歴チルドレンを送り込んでくる。 

彼らは塾に勉強しにくるのではなく遊びに来る。バイトの学生がやる授業では半ば学級崩壊のような状態に陥る。 

だが、腐ってもそこは学習塾。 
成績で3クラスにしっかり分けられており、一番上の進学クラスは勉強できる環境だった。

真ん中のクラスは下位が侵食されており、ここが天国と地獄の狭間。防波堤となっていた。

一番下の基礎クラスは言うまでもない。下手したら学校のクラス平均を下回っていたかもしれないくらい安定して馬鹿がズラリと並ぶ。 


俺は才能と運を持っていた

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 街の実態の説明が長くなったが、ここで俺に焦点を合わせる。

両親は共に大卒で、父はサラリーマン、母は専業主婦の高学歴チルドレン。俺が産まれる少し前に転勤でこの街にやってきた。

教育熱心だったと言う実感はないが、それなりにキッチリ躾けられていたし、両親は警察機能を果たしていた。

悪さをすればこっぴどく叱られたし、とてもじゃないがDQN教に入信する事は考えられなかった。 

幸い、習っていたスポーツの繋がりや元々の気質もあり、DQN教に上手く擬態し適切な距離を取りながらスクールカーストは常に上位だった。

学業は正直言ってチョロかった。 
低学歴チルドレンは論外として、高学歴チルドレンの集う塾の進学クラスでも成績上位。 

大した苦労も努力も無く、この街から通える範囲の高校の中で最高偏差値の進学校にコマを進めた。

周りの奴らが馬鹿に思えて仕方なかった。同時に、俺は才能と運の両方を持っていて良かったと心の底から安堵した。 


袂を分かつ街のチルドレン

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 高校受験、高校進学は一つのターニングポイントだ。

同じ学び舎に居たチルドレンが学力別に進学校、中堅校、底辺校へと散っていく。

高校時代の3年間は、これまでと全く異なる環境で過ごすこととなり新鮮味があった。

まず、DQN教が消滅する。よって、学校で授業が成立する。当たり前の事なはずなのに感動した。これが学校だ。

ほぼ全員と会話が面白いように噛みあうし、破壊や暴力、犯罪の類は一度たりとも起きなかった。

ここでは学力がステータスに切り替わる。

努力せずに上位に入る事は不可能で、入学直後のテストではクラスの真ん中少し上だった。クラスで2桁の順位と言う事実に少しショックを受けたが、それでも悲観的になる事はなかった。

なんせ、俺は大して努力していない。まだ余力がある。

事実、2年の後半から予備校に通い受験に合わせ計画的に努力していった俺は徐々に高校でも順位を上げ、大学受験で見事第一志望の合格を勝ち取った。

この進学校でもトップクラスの結果に、先生方も大いに喜んだ。

家族も歓喜し、街の連中は「さすがだな!」「すげぇ!」「やっぱお前はガキの頃からデキがちげぇわ!」と褒めそやした。


もう一つの道

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 一方底辺校は、各地区のDQN教が一堂に会する世紀末状態。

ただ、DQN教のリーダー格はそもそも進学しなかったりできなかったりする上、ここからは義務教育ではなくなるので謹慎、停学、退学と言ったペナルティで多少バランスが取れていたようだ。

まぁ基本的には中学校の世界観が継続していると言っていい。

強いて言うなら、免許を取得できるようになった事でバイク関係の悪さが過激化したり、デキちゃった中退などの追加要素があった。

進学者は殆どおらず、居たとしても専門学校か近場のFランク大学。大半は家業を継いだり地元の工場やら水商売やらに就職する。フリーター等、進路未定者もいっぱい居た。


あの街の真実

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 ここまで読んで、ある種の違和感を覚えた人、イライラした人が結構居るのではないだろうか?

そしてその違和感やイライラは、低学歴や低学歴チルドレンが作り上げる世界観に対するものではなく、筆者の俺に対するものではないだろうか?

自分でもこの文章を綴りながら、恥ずかしさと申し訳なさで胸が締め付けられている。

俺は高学歴ではない。高学歴チルドレンでもない。

全くもって違う。
文章力や内容からも容易に察する事ができたと思う。

あの街で18歳まで生きた経験が作り上げたズレた物差しが、俺を「高学歴チルドレン」「高学歴」と錯覚させていた。

俺の高校の友達も皆俺と同じ感覚を味わっている。

事実、あの街では大した才能も運も努力も無しにトップ層に食い込めてしまうのだ。

その程度でも、18歳まで勝ち組エリート気分にどっぷり浸かる事ができるのだ。

トップ校でも成績上位。
進学実績を見ても、自分の進学先より良い進学先はごく数名。

あの街とは言えテレビやネットはあったし、上があることは存在としては知っていた。 

だけどなんと言うか、霞がかかっていた。肌で触れたことが無いから、イメージも実感も湧かない。

目標にしようとすら思わなかった。多分、別次元の何かとして捉えていた。

真の高学歴の物差しで測れば俺は低学歴で、俺が低学歴だと思っていた層は多分、比較対象に入っていない。

もしくは、俺も彼らも一括りに低学歴。両親や文化水準についても同様だ。

ただ、自分が「低学歴」と括られたくないと言う気持ちもあるにはあるが、やはり現実的に見ても「低学歴」とも「高学歴」とも明らかに違う。その間のもう一つの存在、いわゆる中流層だったと思う。

現在の日本では「普通」と呼べる程度に厚みのある層だ。


そう、あの街は「高学歴と低学歴が交わる街」ではなく「中学歴と低学歴が交わる街」だった。

まさに、井の中の蛙大海を知らず。
ここまでの文中に登場した「高学歴」を「中学歴」に訂正して読めば、しっくり来ると思う。 

井の外に飛び出した蛙が見た世界

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 大学へ進学し、早々にショックを受けた。

それは学力ではなく、歩んできた道のりに対してだ。 

少なくとも、俺はあの街で勝って勝って勝ち抜いてここに来た。

なのに「負けて落ちぶれてここに来た」と愚痴をこぼす奴がかなりの数存在した。

どうも、本気で自虐のつもりらしい。俺より遥かに厳しい競争にさらされ、そして敗れ、その結果ここに来たそうだ。

更に驚かされたのは「抜け道のようなもの」の存在。附属中学・高校を受験して、エスカレーターに乗ってここに来たそうだ。この道を通ってきた奴らは、経済的にも相当恵まれていたように思える。

俺や俺と似たような匂いのする奴らが風呂トイレ一体型の1Kアパートやワンルームマンションに住んでるのに対し、奴らは1LDK。実家が都心近くにあったり、遊ばせている都心のマンションの一室に住んでる奴も居た。

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中学受験経験者も珍しくない。
あの街に、そんな選択肢は存在しなかったよ。(1人だけ居たが)

海外旅行に行ける我が家は裕福だと思っていたが、そんな事なかったんだな。

父親がサラリーマンってお堅くも珍しくもないんだな。

奨学金を利用しない事が一つの目安だと思っていたが、どうもそれは普通で、目安は仕送り額らしい。

遊ぶお金くらいはバイトで稼ぐのかと思いきや、アホみたいな額の仕送り貰ってやがる。

彼らは口々に「そうでもないよ」「医学部行った奴らなんて」などと宣っていたが、既に非現実的なのに更に上の話なんて脳内で処理できる訳がない。

ただ、流石に彼らが圧倒的多数ではなかった。

やはり地方出身者には俺と似たような人種が多かった。

ここもまた、2つの人種が交わる世界だった。


エリートでもなければ、雑草でもない

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 なんだかんだ自分の人生には満足しているが、これに関しては深刻な問題かもしれない。

俺の街の同世代の出世頭はモロに雑草出身だ。

両親共に高卒で、職人家系。彼以外の親族は全員高卒。

何が彼をそうさせたのかは分からないが、とにかく成績優秀で努力も惜しまない。あの街にいる間に俺が学業で「敵わないな」と思えた数少ないひとりだった。

彼は高校でも一番だったが、残念ながら学業や進学への理解は最後まで得られなかったようで、親も先生に強く説得されて渋々送り出していた。

大学時代は奨学金を借り、仕送りも無い状況でボロアパートに住みながらバイトを掛け持ち、その日暮らしのような大学生活を送っていた。就活でバイトができない時期は本当に苦しかったそうだ。

現在は、しつこく「いつか帰って来い」と催促する実家に半ば見切りをつけるような形で、誰もが名を知る大企業で働いている。まさに雑草。理解を得られず歯を食いしばりながら、努力で結果を出して這い上がってきた。

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そういう意味では俺の父親も雑草だ。

上記の彼ほどの成功はできなかったが、大企業のノンキャリア組としては充分な地点まで登り詰めたと思う。

田舎なんて言葉で形容するのは生ぬるいくらいの農村地帯の農家の長男でありながら、その運命に抗い大学まで進み、就職の段階で実家と一線を引いた。

多分、田舎特有の風習や伝統、そのしがらみで揉めに揉める家族や親戚に嫌気が差していたんだと思う。大学や社会で違う世界に触れた事も大きな刺激になったのだろう。

そして、違う世界の景色を俺にも見せようとした。違う世界への道筋を示してくれた。

両者、俺と決定的に違う点がある。

自分が今いる世界に疑問を抱き、恵まれないスタートを切りながらも、そびえ立つ壁を努力で超えた。自分で違う世界への道を切り拓いた。

そのハングリー精神はきっと、人生のありとあらゆる場面で自分を守る盾となるだろう。

今なら、中学生の頃に塾の先生に言われた事は本当だったと思える。

人間は「頑張れる奴と頑張れない奴」だと。

産まれた世界の傾向や確率、そびえ立つ壁を超える努力ができるかどうか。その壁の存在に気付けるのもまた、頑張った奴だけではないだろうか。

偏差値の向こう側



 高学歴の世界では、この概念が理解されない事が多い。

彼らは偏差値競争に身を置く事が前提になっており、早々にその競争からドロップアウトする層を知らない。

鳴き声のような無駄に大きな音でコミュニケーションを取る層を知らない。

日本語がうまく理解できず、話が通じない層を知らない。

ごく狭い身内の利益を中心とした独自の倫理観を持ち、その他の社会のそれを理解しようとしない層を知らない。

パソコンをオタクツールとして認識し、スマホをパソコンと繋いで使用した事がない層を知らない。

 「カンカン」「ネンショー」「ホゴカン」「ヨンパチ(4円パチンコではない)」「弁当持ち」等の単語を嬉々としてステータスのように語る層を知らない。

それがもどかしかった。
人間を美化し過ぎているとさえ感じ、少し心配になった。

別次元、別世界の話のように思えるが紛れも無く同じ日本であり地続きの世界。切れてないし、遭遇率も非常に高い。彼らが普段目にする氷山の一角だけでは理解できない。何度似たような氷山の一角を見ても形が見えて来ない。

大学に入った頃は、知らない奴は知らなくていいと思っていた。理解する必要もないだろうと思っていた。

そして俺自身も、そんな人種の居ない世界に一抜けできると思っていた。


だが、やっぱりそうもいかない。
社会に出ると、多くの人が交わる事になる。それも、今度はビジネスの相手、利害関係者として。

そこに社会的地位や出身世界は関係無い。

むしろ高ければ高いほど、色んな意味でその世界を理解する必要に迫られるのではないのだろうか。

更なる高みを知る事、目指す事も重要だが、日本社会における単純な数、階層の厚みを考えれば、やはり自分の為にも彼らの世界を知るべきだ。
 
無防備な状態でもらうパンチが最も危険だ。