この世の大原則は「何を言ったか」より「誰が言ったか」
偉人の名言は、偉人が言うから名言なのだ。
天才的な才能、血の滲むような努力で打ち立てた金字塔、それにより勝ち取った権威が背景にある人間の言葉だから説得力や重み、価値があるのだ。
FacebookやTwitterをやっている人なら実感する事も多いだろう。
著名人の発言は凄まじい勢いでシェア、リツイートされ拡散していく。権威が多数派を味方につけ、名言へと昇華し、更なる権威となっていく。
「失敗する事には耐えられるが、挑戦しないでいる事には耐えられない」
これは、マイケル・ジョーダンの名言。
史上最高のバスケット選手でありながら、亡き父の夢だったメジャーリーガーを目指して月給15万円のマイナーリーグで野球に挑戦したり、引退後もチームの経営に乗り出したり、彼の人生は挑戦の連続だ。
でも、これが「挑戦した結果、負け組になった一般人」の発言だったらどうだろうか?
だが、リスク覚悟の挑戦無くして成功は掴めないのもまた事実。
そして、成功できなくとも、世間で負け組と言われるような状態になろうとも、我が挑戦に一片の悔い無しと思える人ならそれでいいのではないだろうか?
「チャレンジ精神の尊さ」と言う発言内容を考えると、発言者がマイケル・ジョーダンでも負け組の一般人でも否定はできない。
ニートが「一生懸命やる事が大事」と語っていても、それ自体は正論だと思う。
権威の信頼度がそこらの人間より圧倒的に高いのだ。
「何を言ったか」よく理解できないものをいちいち疑っていたらキリが無いから、権威に頼るしか無い。
権威も人間だ。当然、間違える事もある。
だが、医療過誤や原発事故、世紀の発見を捏造と言った社会を震撼させる事件が起ころうとも、権威を信頼しないで生きる事はほぼ不可能なのだ。
「誰より何」の重要性を実感したキッカケ
だけど「誰が言ったかより何を言ったか」ってのは凄く大事だと思う。
過去に綴った事があるが、俺は本気で好きだった娘に嫌われて逃げられてしまった時に、恋愛、人間のコミュニケーションや心理を素人なりに一生懸命勉強した。
※人生最大の失恋と引き換えに手に入れた魔法
それこそ「誰」と「権威」に取り憑かれ、美形でモテる人間やその分野の教授に教えを請うたり、書籍を読み漁った。当然、彼らの教えは役に立った。期待通りの成果が得られた。
だが、最も俺にとってタメになったのは「信頼度の低そうな人の話」だった。
俺に負けず劣らずのブサイクで、あまり頭も良さそうではなく、喋りも上手くなく、どちらかと言うと性格が悪くて・・・
言っちゃ悪いが、モテなさそうな人。彼女が途切れないとかセフレに困らないとか、嘘くせー・・・と思ってしまう人だった。
正直、当時は彼のモテ自慢は信じてなかった。
これで、実際にモテモテの証拠でも示されれば権威を感じる事もできたのだろうが、それもない状態では権威など皆無。
しかし、話を聞くとその理論は確かだ。
「誰」を基準に選んだ人達の話を基礎に、俺に合わせより実戦的なスタイルを教えてくれた。
「お前のルックスは普通以下だから、こうした方がいいな」
「そのルックスでそれは逆効果。それよりこの方が・・・」
「それはセンスのある奴だけ許される。お前レベルならまずはこうしとけ」
不愉快で優しくない嫌な奴、とレッテルを貼って耳を閉ざしてしまう事は簡単だ。
だけど、そんな事は無関係。正論って基本的に耳が痛いもんだ。
これで、実際にモテモテの証拠でも示されれば権威を感じる事もできたのだろうが、それもない状態では権威など皆無。
しかし、話を聞くとその理論は確かだ。
「誰」を基準に選んだ人達の話を基礎に、俺に合わせより実戦的なスタイルを教えてくれた。
「お前のルックスは普通以下だから、こうした方がいいな」
「そのルックスでそれは逆効果。それよりこの方が・・・」
「それはセンスのある奴だけ許される。お前レベルならまずはこうしとけ」
不愉快で優しくない嫌な奴、とレッテルを貼って耳を閉ざしてしまう事は簡単だ。
だけど、そんな事は無関係。正論って基本的に耳が痛いもんだ。
不愉快だろうと傷付けられようと、彼の教えてくれた事は正しさを感じれたし、実際に凄まじい効果があった。
信頼できなそうな嫌な感じな奴の話が、俺を幸せにしてくれた。
「お前が言うな」で損する事もある
(のび太の台詞ではなく、偉大な漫画家の台詞と捉える事もできるが・・・)
「誰が言ったか」で判断し、切り捨てる時のお決まりの台詞だ。
日々の暮らしやインターネットの世界で「お前が言うな」と言いたくなるような話はとても多い。
だけど、手痛い失敗をしている人や実績が伴わない人だからこその意見や持論ってのもあると思うんだ。
権威が無いからと言って全く役に立たないと切り捨ててしまうのはどうなのかなぁ、とも思った。
嫌な奴の説教、大したことない奴の意見、2ちゃんねるの書き込み、一般人のツイート、どこの誰かも知らないような奴の綴ったブログ・・・
もしかしたら、そんなゴミの山の中にキラリと光る何かがあるのかも知れない。
そして、ゴミだと思ってたモノも案外使えるモノや役に立つモノが多いのかも知れない。
パッと見、高級品でも実はポンコツかも知れない。偽造品や盗品かも知れない。
どうしても権威に頼らざるを得ない場面以外では権威から逃れ、少し自分で「何を言ったか」について考えてみようと思った。
人間が感情の生き物である以上、なかなか難しい事だけどね・・・
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